« 出会いとつながりを再認識した週末でした | トップページ | 第一回刈谷田川マラソン参加しました【惨敗の初ハーフマラソン】 »

2015/03/19

「炎と森のカーニバル」 SEKAI NO OWARI

この春、娘を無事に大学に送り出すことができました。

そして、 「炎と森のカーニバル」、世界の終わりのこの曲は思い出深い曲となりました。

 

試験当日、父親の役目として彼女を試験会場に送り届けました。

Dsc05207

朝、会場へ送り届けてから父親のミッションは合格した暁にはこの地域の住民となる娘の保護者となるので、車に積んできたGeniusを組み立て近くの山へ登りトレイル探索?

Dsc05214

間違い、高台の展望台に登り、街の全景を頭に叩き込みました。

途中、地元の不動院さまに合格祈願をして・・・

でも、登ったということは下るんでしょ?

Dsc05209

てことで、極上なトレイル探し当てて、あっちと、こっちと2本ほどご馳走になりました。

その後本題の街散策に戻って、生活環境、住宅事情などを確認しました。

Dsc05216_2

城下町だけあって丸の内や元町など、格式ありそうな名前を至る所に見かけることができます。

一通り街散策を終え、試験会場近くの駐車場で着替えを済ませてのんびりとファミマコーヒーをー飲んで彼女をが出てくるのを待ちました。
地域のFM放送は大学入試の話題で盛り上がっています。

みんな一喜一憂してるなぁ...

 

♩リクエストは「炎と森のカーニバル」です。

 

お、セカオワかぁ。

この曲を聴くと、一昨年秋に娘に富士急ハイランドの野外ライブに行ったことを思い出します。
娘にとっては父親スポンサー付の富士ハイandライブだとしても、一昼夜父親と絶叫and興奮は窮屈だったはずですよね。
でも、父親として今後こんな機会なんて無いかもしれないありがたいチャンスでもありました。
そんな富士急のセカオワのライブのテーマがこの「炎と森のカーニバル」だったよな・・・

など、昔を思い出しながら聴き入っているところに娘が戻ってきました。 以外や達成感のある顔です。
快晴の冬の昼下がりの眩しさの中「炎と森のカーニバル」に乗って試験を終えた娘が凱旋行進して戻ってきたかの如く86の車内にとてもいいオーラが流れ込んできました。

お、これは合格するな・・・

その時、勝手に思い込んだ父ですが、このことは本人には内緒しておきました。

そもそも娘としては、今回の大学は事前判定で赤に近い黄色信号が灯っていた感のある状況に置かれているなかのチャレンジ受験であり、彼女曰く、

どうせダメだけど、やれるだけやったからもう満足。

とのこと。 であれば、合格の可能性あるとさらに父は確信。

ここまで、センター試験までは全く勉強に力が入らなかったことは父親の私が見ても明らかでした。
それでも、残り1ヶ月で仕上げることができた娘の頑張りは高く評価しますし、そして親として、最後のモチベーションを持たせることが出来なかった時に、マネージャーとして2年間お世話なった先生の助言で最後の頑張ができたことを本当に感謝するとともに、サッカー部全員が娘の合格を祈ってくれたおかげだと思っています。
彼女自身、メンバーのために頑張った3年間は決して無駄ではないということ、人の繋がりの大切さを改めて感じることができたことでしょう。

Dsc_1542_3

改めて合格発表を見ながら、これから始まる新しい生活をどんなふうに受け止めて考えているのかな?
それが何であれ、今求められてること、やらなければならないこと、という意識を常に持って行動する習慣を育ててきたつもりです。
これからは大学生なんだから一層その考え方が求められ、そして自分で決め、責任を持って行動しなければなりません。

頑張れよ!

てなかんじで、いつもとは違うカラーの記事でしたが、セニョ家にとって大きな節目がやって来たあhるだったので、いまを記録する意味も込めて書いて見ました。

さぁ!4月からは新たな気持ちで遊びますよ!

|

« 出会いとつながりを再認識した週末でした | トップページ | 第一回刈谷田川マラソン参加しました【惨敗の初ハーフマラソン】 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 出会いとつながりを再認識した週末でした | トップページ | 第一回刈谷田川マラソン参加しました【惨敗の初ハーフマラソン】 »